今年も   沖縄に行ってきました

Part 1

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昨年古くからの友人の誘いに乗り、沖縄の宮古島、石垣島などの先島諸島の旅を一週間以上楽しみましたが、今年もお誘いがありせっかくですのでご一緒させてもらいました。何しろ旅の計画から交通、ホテルの予約など一切をやっていただけるので私はお金だけ振り込めば万事OKという、無精者の私には願ったり叶ったりのお誘いです。
しかも今年は離島ではなく沖縄本島を巡る計画との事で、これも魅力的な話ですぐに飛びつきました。10月24日に出発して30日の夜に帰京するという6泊7日の旅です。

一日目
那覇市を出発して本島の南側を巡り知念岬の民宿「ポランの広場」に投宿

二日目
民宿より安座真港へ。港にレンタカーを置いてフェリーで久高島へ渡り民宿「さわ」に泊まる

三日目
久高島より本島に戻りレンタカーにて宜野湾→嘉手納→読谷村経由にて残波岬へ。それから東へ向かい伊計島のホテル「はなりびら」にチェックイン

四日目
伊計島より西に向かった後北上し金武村→名護市を経て「美ら海水族館」を見学後、渡久地港からジェット船で水納島へ。民宿「大城」泊。

五日目
水納港から本島へ戻り一路、本島の最北端「辺戸岬」を目指すロングドライブへ。Uターンし今度はひたすら南下し恩納村の高級ホテル泊。

六日目
恩納村から那覇市へ。市内観光の後那覇空港発→羽田空港着




下の地図は沖縄本島の地図ですがここに私がいたずら書きしている様に那覇に一泊して六日掛けて沖縄本島をぐるっと一回りしました。

こんな感じで一日目は沖縄南部、2、3、4日は本島中部5日目は北部と沖縄本島をほぼ完全制覇しました。

さて沖縄ですが、昨年このサイトで40数年ぶりに訪れた事を書いていますが、たまたま家で古いパスポート類を発見しました。その中に昭和43年発行の日本政府発行の「身分証明書」というのが出てきました。私の記憶では第一回目の沖縄出張の時はパスポートにアメリカ政府の高等弁務官の「上陸許可証」と言うのを受けて沖縄(当時は琉球政府と言っていたようです)に行った覚えがありますが、当時は沖縄渡航用にこの様な身分証明書というのが交付されていたようです。
この身分証明書によると1968年ですから昭和43年の6月と次の年の5月に沖縄に渡航しています。身分証明書の一番後ろに一枚の許可証が貼り付けてあり、そこには「Application for entry into The Ryukyu Islands」とあり下半分に「Accepted by United states Civil Administration of the Ryukyu Islands」とあります。身分証明書の最後のページにUSドルの交換記録があり1968年では交換レートがUS$1.00=\300だったのが翌年には180円になっておりものすごく円高が進んだ一年であったことが分かります。

私は大体がモノを大事にする方でなく要らなくなると何でもすぐに未練なくポイっと捨ててしまうんですが、パスポートとか身分証明書とかは捨てる訳にも行かないし、珍しく今までどこかに保管していたんですが、ここまで古くなるとさすがに興味津々ですね。

第一日目(那覇とその近辺)

朝ホテルを出て那覇空港の近くにある瀬長島(左の写真)へ行きました。ここは那覇空港への発着する飛行機が間近に見られる人気スポットとの事でしたが、それ自身にはそれ程の興味もなく、それより海岸で小さなサザエみたいな貝を採っていた親子連れのところに行き「こんにちは。何を採っているんですか?」「この通り小さな貝ですがこれをお味噌汁に入れるとおいしいんですよ」「あぁ、そうですか」「どちらからいらっしゃいました?」「昨日東京から。一週間ほど掛けて沖縄本島を回ります」「それはいいですね。沖縄はいいところですから楽しんでください」「ありがとうございました・・・」こんな会話を交わしました。

昨年もある海岸で土地の奥さんに話しかけましたら、貝の話を沢山してくれて、同じ様に「沖縄の旅を楽しんでください」って言われた事があります。沖縄の人って遠来の客をこんな言葉でもてなす習慣があるのかも知れませんね。

実はテレビの「鶴瓶の家族で乾杯!」とか「田舎に泊まろう」と言う番組でゲストが見ず知らずの人に「こんにちは!」って声を掛けるシーンを度々見ていたので、私も今回は出来るだけ土地の人に声を掛けてみるようにしてみました。用もないのに声を掛けるのも失礼なので目が合ったら笑いかけて目礼すると言う程度の挨拶でしたが、皆さん気持ちよく挨拶を返してくれました。何か旅の楽しみが少し増えたような気がしますね。

身分証明書(上)とそこに貼ってあった
私の若かった頃の写真(下)

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