直線上に配置

私が日ごろお世話になっている武蔵野スキークラブの行事で、11月3日に日帰りで群馬県の碓氷峠へのハイキングのお誘いがあり参加しました。当日は連休の第一日目とあって、関越高速道路は大変な渋滞で心配しましたが、東松山を過ぎたあたりから流れが順調になり予定通り昼前にはハイキングのスタート地点「めがね橋に」到着しました。

ボランティアの人から説明を聞く

ここはあのアプト式で有名な旧碓氷線の一部が遊歩道として整備された4.8Kmのハイキングコースで、左の案内図にあるとおり上の「めがね橋」から下るコースと下の「横川駅」の近くから上る二つのコースがあります。幸いにも私達はめがね橋から出発するくだりのコースを取りましたので本当にらくちんなハイキングを楽しむことが出来ました。


この信越本線、横川〜軽井沢(別名 碓氷線)は明治26年から昭和38年まで使用されましたが、同年の碓氷新線の開業に伴いそれまでのアプト線は休止になったそうです。このアプト式についてネットで調べましたら横川と軽井沢間の勾配が66.70/00という急勾配のため、通常の運転方式では車輪とレールの摩擦力が不足して登坂出来ず、当時ドイツの山岳鉄道で実用化されていた「アプト式」という特殊運転方式を日本で最初に採用することになったそうです。


アプト式とは通常のレールの真ん中に歯形の「ラックレール」を敷設し、機関車に取り付けた歯車(ピニオンギヤ)と噛み合せながら走行することにより急勾配間での牽引力またはブレーキ力を得る方式です。「アプト式」(Abt System)は開発したドイツのアプトという人の名前を取っているそうです。


私はこの碓氷峠のアプト式というのはどういう訳か子供の頃から知っていました。機関車が横川駅で交換されるため横川駅での停車時間が長いので、ここでの駅弁が有名になった事も知ってましたので、ハイキングの道すがら仲間に得意になって知識を披露しました。
そしたら「じゃぁ、どうしてそれが名物の釜飯になったの?」って聞かれましたが答えられませんでした。
せっかくいい気分だったのに・・・ね。

このハイキングコースには5つの遂道(トンネルですね)があります。単線のためそれほど大きなトンネルではありませんが、機械化の進んでいなかった当時は大変な人海戦術でこれらを作ったと思われます。

今年は紅葉が少し遅れ気味との事でしたが、当日はお天気が良かったので「それなりの・・・」紅葉は楽しめました。この辺は紅葉が有名らしくボランティアの人の話では、あの修学旅行でよく歌った「あ〜きの夕日の〜照る山もみじ〜♪」という唱歌はこの辺で生まれたそうです。

ハイキングコースの中ほどにある峠の湯という場所で暖かい日差しのもと、皆さんそれぞれのお弁当を広げての楽しい昼食になりました(左)
私は近くの有名な「おぎの屋」の釜飯を買い求めました。

いただきま〜〜〜す    →      ごちそうさま〜〜!


昼食の後は腹ごなしを兼ねて緩やかな下り勾配を横川駅に向かって歩き続けました。途中で丸山変電所に立ち寄り中の展示品を見学しながら、当時の様子に思いを馳せたりしながら、ひたすら下り坂の至福の時間を堪能しました。途中で多くの上りのハイカーの人たちと出会いましたが、いずれも少々お疲れの様子でちょっと申し訳ないような感じを持ちました。

予定より早く終点の横川駅に着いてしまったので、近くの妙義神社を参拝する事になりました。休憩時間をたっぷりとってもらいましたので、神社にお参りした後で近くの日帰り温泉「もみじの湯」に入って一日の疲れを取ることが出来ました。
今回はお天気に恵まれたし、下り一方の「おいしいハイキング」で中高年の我々には、「願ったり、叶ったり!」っていう感じの一日でした。

これがめがね橋です

昔の線路が遊歩道になってました                旧丸山変電所

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あのアプト式で有名な
碓氷峠の
超らくちん ハイキング

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次をお楽しみに